【遠征系アラサードルヲタ女が語る】アーティストとわたし【プロローグ】

おひさしぶりです。
普段はドルヲタ現場レポート的な、世の中の1割くらいの人に役立つかもしれない情報を主にこちらで垂れ流しているなかだですが、ふと思い立ってたまには自分の思いのようなものを長々と書き連ねてみたいと思います。

題して【遠征系アラサードルヲタ女が語る】シリーズです。

世の中の1割どころか5分くらいの人にすら役立たないかもしれませんが、この歳になって趣味のことやお仕事のことや友人・知人・家族のことをふと見回してみると、そこには自分にしか経験できない「何か」があった気がします。
地方で生まれ、20歳で上京したこと。SNSを通して得たたくさんの出会い。アーティストさんとの関係性。
そこから形成されるのは、自分にしかできない発想であったり、自分だけの価値観や優先順位であったり。
そんな「私だから書けること」を書けたらいいなぁと思いました。

まずは自分がどんな風に生きてきて、どんな風に推しと出会ったのかから始めてみます。

私が生まれたのは石川県の金沢市、ちょうど今年は北陸新幹線の開業でありがたいことに注目を浴びている街です。
そんな金沢市の、金沢駅から車で5分くらいのところに実家があります。
っていうか金沢駅まで徒歩圏内ですしいつも自転車で通ってましたアイラブ金沢駅
……そうです、地方の中ではわりと都会です。(ミジンコレベルのプライド)
日本一降水量が多く、とにかく雪が降っては溶け、徒歩10分のコンビニにも車で行くのが金沢です。
民放のテレビ局は4局で、テレビ東京系列の番組とミュージックフェアは放送されません。
ニッポン放送のラジオを受信しようとすると韓国語らしき何かが受信される日本海側です。
海の幸がとてもとても美味しくて、実家では毎晩必ずお刺身を食べていました。
(贅沢にも、白身魚は好きではなかったのであっても食べませんでした)

そんな金沢で1988年6月4日午後2時半頃に、なかだかなは産まれます。
幼い頃からバイブルはセーラームーンで、文字を覚えるのが早かったことが災いして4歳から少女漫画雑誌なかよしを愛読し始めます。今思えば、すでにヲタクの片鱗が見えていたのかもしれません。
小学5年生までアパートの一室で親子3人慎ましやかな生活を送り、同じ小学校区内の一軒家に引っ越して現在の実家となっています。
小学校時代に流行ったものといえばSPEEDさんでした。
当時SPEEDさんが主演した映画ALIVEを映画館まで観に行ったことを覚えています。
観に行ったことというか、観に行った後の話なんですが。
しばらく経ってからテレビで放送された時に、見たいと言ったら「1回見たんだからいいでしょ」と母親に見せてもらえなかったのです。あまりの理不尽さに布団を被って泣きました。
見かねた父親が途中から録画してくれたあのビデオテープ、今も実家のどこかにあるはずです。
(この時点でおわかりいただけると思いますが、両親はドルヲタ要素が微塵もないです)
一人っ子で育ったのもあって、私は男の子に関する物がとにかく苦手な子供でした。
かといってフリルの付いたようなヒラヒラな服も嫌いでしたが。(難儀)
少年漫画のコーナーに行くのも恥ずかしかったし、昔漫画家さんになりたかった時も女の子の絵しか描けませんでした。
描けないというより、恥ずかしかったのです。男の子をかっこいいと思うことが。
絵の中の男の子の身体を描くことも恥ずかしかったし、こういう男の子が好きなんだと周りに思われるのがとにかく嫌でした。
それが今では、推しの魅力を一人でも多くの人に伝えようと必死になっているのだから好きのパワーってすごい。

話を音楽に戻しますが、SPEEDさんが解散した頃にベストアルバムを聴いて好きになったのが浜崎あゆみさんでした。
初めて音楽番組を録画したのが1999年の紅白歌合戦です。
結局大人になって上京するまで生で彼女を見ることはありませんでしたが、セーラームーンの延長で強い女性に憧れたのだと思います。
浜崎あゆみさんを好きになったことで、ドルヲタとしての基盤は築き上げられます。
載っている雑誌を買うこと、CDショップに予約しに行くこと、出演するテレビを録画すること。
当たり前に感じる全ても、最初は手探りと失敗の連続でした。
誰もが最初は初心者なのだと、当時の自分を振り返っては思います。

そして中学生になりやっとw-inds.さんと出会うわけですが、その前に時期が前後しますがRUN&GUNさんについて書こうと思います。
当時からのw-inds.ファンの皆様ならばまあ大体の方がご存知だと思います。
w-inds.さんやFLAMEさんと同時期に吉本興業所属でデビューしていたグループです。
さほどファンというほどでもなく、雑誌を見て米原くんがかっこいいなぁと思う程度でした。
私が中学生の頃にちょっと背伸びして遊びに行く場所といえば香林坊や片町・竪町という通称「マチ」で、その日もたまたま香林坊109にあるヤマチクというCDショップでなんとなくRUN&GUNさんのCDを買いました。
shootin' to my eyesかミ・ラ・イのどちらかだと思うのですが、そのCDには三角形の握手会参加券が付いていました。
生まれて初めて見た握手会参加券はCDの隅っこにセロハンテープで貼られており、何だこれと思いながらあまりちゃんと詳細も読みませんでした。
一旦お店を離れた私たちがしばらくして戻ってくると、香林坊109の前は大変な人混みになっていました。
今見てみると大変狭い、広場ですらない場所ですが、当時は通行人も足を止め、路上に人が溢れそうなその光景は衝撃的でした。
偶然にも、買ったCDのリリースイベントがその日だったのです。
ライブはほぼほぼ見えず、人混みの隙間から握手会をしている米原くんの顔だけが確認できました。
実物はなんて顔が小さいんだろう、なんてかっこいいんだろう。
初めてのリリースイベントで、初めての生芸能人でした。
ええ、今初めて気付いたんですが、w-inds.さんの初ライブが2003年の夏なので、こちらの方が早いですね。
握手会参加券は手元にあります。ですが、わたしはその時握手をすることができませんでした。
間に合わなかったわけでもなく、初めては慶太くんと……とか思っていたわけでもなく。
ただただ、怖かったんです。
たくさんの人の中に入っていくこと、好きな芸能人を目の前にすること、握手すること、何と言う言葉を発すればいいのか。
怖気付いた私は、せっかくの握手会参加券をCDに付けたまま、家に帰ったのです。
今でも鮮明に覚えているくらい、後悔が大きかったんだと思います。
もしリリースイベントでそんな女の子を見かけたら、優しくしてあげてください。(未来のドルヲタかもしれません)

さて、ここからw-inds.さんとの出会いです。
前述の通り、私はとにかくアイドルだろうが現実だろうが男の子をかっこいいと思うこともない子供だったので、そこから今の私に変えてくれた彼らの存在は大きいです。
私がw-inds.さんを知ったのはデビューした頃だと思いますが、好きになったのはその1年半後の2002年冬でした。
シングルBecause of youとNEW PARADISEの間くらいです。
ベタな話ですが当時中学2年生だった私は夏休み明けに失恋し、それもわりとイジメに近い形だったので現実の男の子が嫌だと思った時期でした。
心の傷にうまくハマってしまったのがw-inds.さんで、Because of youのc/wのclose to youを聴いた時に慶太くんの歌声が好きになったのがきっかけでした。
次の年のツアーで石川厚生年金会館での公演が決まり、3公演ある中の1公演に中学校の友達を誘ってみんなで行くことになりました。
初めてチケットを買うことになり、わけも分からずぴあの特電に電話をして。
当時まだネットも復旧してなかったですし、詳しくもなかった私はファンクラブというのは選ばれし厳選されたファンが入るものだと思っていました。
ぴあの特電で5枚買おうとしたら4枚までしか買えないと言われ、コンサートのチケットというものは枚数制限があると知ります。
そして手に入れた4枚のチケット。30列くらいしかない中の、後ろから4列目でした。
ヲタ要素がないとはいえ、なんだかんだ優しかった母親は双眼鏡を買ってくれました。
そもそも双眼鏡を使うという発想すらなかった私は、そういうもんなんだな〜と感心した気がします。
ツアーグッズという概念もなく、映画を観に行った感覚でパンフレットだけを買ったSYSTEM OF ALIVEツアー。
翌年まさかグッズ全種類買いをすることになるなんて、当時は思ってもみませんでした。
リムジンから降りる三人の映像、スクリーンの間から現れるまだ細かった慶太くんのシルエット。赤いスパンコールの長袖の衣装。
そして最初にマイクを通して聞こえたSUPER LOVER〜I need you tonight〜冒頭のセリフ。
人生で行ったライブの中で一番記憶に残っている瞬間がそれです。
初めて観るw-inds.さんは、キラキラしていて、CDよりもっともっと歌声が綺麗でした。
目の前に、同じ空間に、大好きな人達が存在していることが奇跡でした。
この時のことを忘れないでいる限り、きっと私はヲタとして腐らずにいられると思います。
そして、どのアーティストのどこの会場のライブであったとしても、きっとそういう子が会場のどこかにいるんじゃないかって思います。
眼に映る全てのものが、今後一生忘れない思い出になるようなそんな子が。
だから、全公演大切に大切にしてほしいし、ファン同士もお互いに気を遣いあえたらいいなって思います。
ところで甘やかされていた中学生の私は、生意気ながら携帯電話を持っていました。
まだパケット定額制サービスが始まっていない時代です。
何かしらの交流サイトで知り合ったのか、w-inds.を好きなミホちゃん(仮名)というメル友がいました。
あ、メル友ってわかりますかね……今で言う相互フォローさんみたいなもんですかね。
ミホちゃんは私より2歳ほど歳上で、ファンとしてもお姉さんのような存在でした。
SUPER LOVER〜I need you tonight〜発売のすぐ後くらいに、w-inds.さんはデビュー3年目にして日本武道館公演3daysが決定しました。
何かの新記録だとかでメディアに取り上げられ、朝ミホちゃんからのメールで「w-inds.めざましテレビ出るよ!」と教えてもらったのです。
今まで朝はやじうまワイドしか見ていなかった私は飛び起きてめざましテレビを録画し、初めてめざましテレビのエンタメ枠は何回もあるものだと知るのです。
ミホちゃんにはその後も元気ダッシュw-inds.ファンの皆様ならご存知のBSで放送されていたコント番組)をダビングしてもらったり、無知にも程がある私は死ぬほどお世話になりました。
兎にも角にも、ファンという世界に本格的に入ってからの1年は、初めて知ることの連続でした。
ただでさえ世間知らずの中学生で、ネットは家のWindows98でダイヤルアップ回線していた頃です。
その経験があるからこそ、私もミホちゃんのように他のファンの子を支えられる人になりたいと今でも思っています。
ファンという世界を知っていくにあたり、必ずしも感動ばかりではありませんでした。
他の界隈と比べての露出量だったり、地方の格差だったり。
今思えばw-inds.さんも昔は随分テレビに出ていた気もしますが、そもそもアーティストさん自体少なかった上に音楽番組自体は全盛期。知れば知るほど、欲張りになるのが人間です。
地域差に関してはまあ後々本格的に書くと思いますが、こればっかりは積もる一方でした。
私が20歳まで金沢にいて、学んだのは、地方は恵まれないといくら嘆いて待ってたって誰も助けてくれないってことです。
何をどう頑張ったって、綺麗事を言ってみたって、地方ヲタでいることを選ぶというのは、スタートラインを後ろに下げることなのです。
長くなりましたが、w-inds.さんを応援していくうちに色々な思いが積み重なって、ついに上京することにしました。
具体的には、橘慶太名義のシングルFRIEND発売時に封入特典でプレミアムイベントに当選したのに行けなかったというただそれだけのことで決意しました。
それはシリアル番号がランダムで決まっており、応募しなくても下2桁で当選が決まるものでした。
応募すらしていないのに当選して、しかも大阪や福岡の会場は本人がこないのに唯一本人が登場する東京公演でした。
それなのに、自分は東京にいないから、気軽に東京なんて行けないから、慶太くんには会えないんだと思った時のどうしようもない気持ちは忘れられません。
ここまで書いておいて、来年地元に戻ったら大丈夫なんでしょうか(笑)

東京に出て、まず行きたかったのが三浦大知さんのライブでした。
SoftBankがまだvodafoneだった頃のCMでFree Styleをきっかけに好きになったものの、石川県に来ていなかったので観る機会がなく。
今でこそニベアで有名な三浦さんですが、2009年当時はそこまで知名度が高いわけでもなく。
w-inds.さんのおかげでVISION FACTORY携帯サイト会員だった私は手軽に彼のライブに行けるようになりました。
w-inds.さんもファンクラブイベントでスタンディングはありましたが、メインでライブハウスを使っていた三浦さんのライブは全くの別世界でした。
赤坂BLITZで行われたOur Loveツアー追加公演が初めての三浦さんで、そこからホールの公演がメインになるまでの間はかなり通っていた気がします。
手拍子だったり、みんなでやるちょっとした振り付けだったり、毎度の客演だったり…規模が小さいからこその楽しさが心地よくて好きでした。
2・3回程w-inds.さんを見かける時もあって、芸能人が観にくることが東京ならではだな〜と思いましたね。
(もちろんそういうのも全てが羨ましかったです、上京前は)
そういえば人生初の鍵開けは三浦さんでした。渋谷タワレコで行われたクリスマスのリリースイベントの際に、誰も行かないからと鍵を開けて「マネージャーさんって清水さんになったんですか?」という死ぬほど意味のわからない質問をしました。あの時の三浦さんの顔は忘れられません。
三浦さんの担当のエイベックスの方(たぶん)がすごくいいスタッフさんで、「ブログなどの感想を、僕らスタッフもよく検索しているのですが、よく『言いたいことが伝えられなかった』という方を見かけます。今日は、後悔しないように、伝えたいことを全部伝えられるように頑張ってください…!」と言ってくださったのが忘れられません。
その後の三浦さんはUNITEDという事務所のダンスイベントで一気に事務所内の他界隈から一目置かれ、CMソングで一気に事務所外の知名度も上がりましたね。

三浦さん、Leadさん、BIGBANGさん、CNBLUEさんと色んな現場に行くようになりました。
そして10周年のバタバタを終えたw-inds.さんの活動が安定期に入り、暇を持て余すあまり牡蠣にハマった後に出会ったのがDa-iCEさんです。
牡蠣と同時期、よく渋谷のダンスイベントを観に行っていた時期がありました。
w-inds.さんのバックを務めてらしたダンサーさんを目当てに色々行っているうちにダンスの素晴らしさに気付いたので、実はファンになってからの10年はそんなにダンスに詳しくはなかったです。
にわかに応援していたLeadさんのリーダー卒業を受けて急遽観に行ったPATi★Nightというイベントで、颯くんのダンスを観て今までで一番好きなダンスだと思いました。
w-inds.さんの時と大きく違うのは、初めての印象が生だったことです。
憧れの人が目の前にいるというより、さっきそこらへんのコンビニにいた子達が、ステージに上がるとこんなにかっこいいんだっていう感動でした。
ここまでメジャーシーンを応援してきた私にとって、Da-iCEという当時はインディーズシーンのアーティストは、またしても知っていくことの連続でした。
チケットをプレイガイドで買うこともほとんどなかったので、イープラスになかなか繋がらない時はかなりパニックでした。
何より、今まで知っていた世界より物理的にも心理的にも距離がかなり近くて、アーティストにダイレクトに感想が届く感覚が初めてのことでした。
SNSが発達した時代というのもありますが、Da-iCEさんや関連するアーティストさんはリプライもすごく見ていてくれていたし、大輝さんはよくエゴサかけてましたし。(笑)
認知とか、そういう類の経験もDa-iCEさんが初めてでした。
並行して慶太くんのソロ活動もかなり行ってたので顔くらいは覚えてもらえていましたが、初めて顔と名前を覚えてくれたのは颯くんでした。
2013年11月24日の吉祥寺SWISHで顔を見た時に名前を呼んでくれて、びっくりしすぎて聞き返してもう一度呼んでもらったことは未だによく覚えています。
応援しながら、自分はどんな形でこの人たちを広められるのだろうと考え、色んな手紙も書いて。
前の時にああだった、どこどこではどうだった、そんな風に思い出が積み重なっていって、向こうも覚えていてくれるのが本当に嬉しくて。
励ましたり、心配したりしながら、たくさんたくさん送った気持ちをちゃんとステージで返してくれるから、そしてどんどんかっこよくなっていってくれるから、応援していて楽しいなって思います。


ここまでたくさん書く気は全くなかったのですが、遠征系アラサードルヲタ女はそんな感じでハマってしまったのでした。
出会いの前に辛いことがあるので、結局その辛いことも自分にとっては必要だったなと思います。
w-inds.さんにしてもDa-iCEさんにしても、別に最初から応援していたわけではないんです。
なんなら、以前から知ってはいたのに何かの拍子でポンとハマったっていう感じがします。
別にいつファンになろうが個人的には自由だと思いますし、長けりゃ偉いとか所謂新規がどうとか正直どうでもいいです。
私を惚れさせてくれたのは色々経た上でのその瞬間の彼らで、その出会いが何よりも尊いからです。
向こうのコンディションだったり自分のコンディションだったり、あるいは他のアーティストのコンディションだったり。
色んな要素が絡み合った中で、出会えたことって素晴らしいなって思います。
好きになれたことが幸せだと思います。


さて、次回以降はもっと細かく的を絞って、あえて書きにくいテーマを書こうと思います。