わたしと推しの話。

大好きな大好きなDa-iCEのツアー初日を迎え、遥々金沢から東京へと舞い戻ったなかだです。

ついこの前まで住んでいたはずの、今年も住民税をお支払いしている墨田区はやっぱり落ち着く!

ちょっと時間が空いたので、今回はレポートではなくわたしと推しの話をします。

 

そもそもわたしは推し、という言葉自体実は馴染みがなくて、高校生の頃は「◯◯くんファン」とか言っていた気がします。

なので当時は、「わたしの推しは◯◯くん」というより「わたしは◯◯くんのファン」という表現で、単純に言葉の順序が違うだけではなく微妙にニュアンスも変わってくるな〜と思ったり。

推し、の方がなんだか所有物っぽい感じがしませんか?

まあ、そんな話はどうでもよいのですが(笑)

現在のわたしの推しDa-iCEの和田颯くんで、つまりわたしはDa-iCEの和田颯くんのファンです。

元々あまり気が多い方でもなく、その前は10年くらいずっとw-inds.橘慶太くんのファンでした。

(今でも大好きだし尊敬している素晴らしいアーティストさんだと思ってますよ!)

第一印象は、「すごく楽しそうに踊る子」でした。

自慢話でもなんでもなく、初めて会ったのはたまたまコンビニで遭遇したんですが、その時は本当に普通の、いやビジュアルはめっちゃ可愛い男の子でした。

サラサラの金髪をなびかせて目の前を駆け抜けた男の子が、ステージで心から楽しそうに踊っていてキラキラに輝くその姿に、目を奪われたのが始まりです。

もしかしたら、コンビニで見かけなかったら好きにならなかったかもしれない。

そんな出会いから好きになった"推し"のことを、どんな風に好きなのか考えてみると、自分でもよくわからなかったりします。

 

たまに"顔ファン"とか"ミーハー"とか、なんだか気持ちの大きさを競ったり、"本当に好きな人が〜"みたいな好きの信憑性を試される言葉がありますが、個人的にはそういう定義とかファンならどうあるべきだとかが好きではないです。

特定の何かを好きだと思って、その何かの経済活動に貢献していればもうそれは立派にファンなんじゃないか?と思うし、好きに大きいも小さいも偉いも偉くないもないと思います。

だからわたしも、誰かよりも気持ちが大きいとか、誰かよりも偉いとか、そんな風に思ったことはないし単純に目の前の颯くんが好きだな、とだけ思っています。

ハマった瞬間はミーハーだったのかもしれないし、颯くんの顔ももちろん好きだし。

ただ、接触をきっかけに好きになったわけではないので、たぶん颯くんがどんなに性格が歪んでいても、酷いことを言われても、接触しなくなっても、きっとずっとファンなんだろうなと思います。

今は本当にアーティストと気軽にお話しできる時代になったので、話して人柄を知って好きになることもあるんだろうけど、それならわたしは現実世界の人とお話ししたい(笑)

奇跡的に颯くんは人柄もよくて優しいので、パフォーマンスだけじゃなく内面も好きなんですが、本質的にはただただステージでパフォーマンスをしていてくれればそれだけでずっと好きでいられます。

逆にパフォーマンスにやる気がなくなってしまったのなら、どんなに優しくても、例え泣いて縋ってきてもきっと冷めてしまうと思う。

 

"リアコ(リア恋)"という言葉も最近よく聞くじゃないですか。

わたしはその言葉の定義がよくわからなくて、SE脳なので定義のあやふやな言葉はあんまり使いたくないんですが、友達に聞いたところあわよくば付き合いたい、みたいな感じと言われました。

うーん、いまいちピンとこない。

だって、わたしは颯くんに限らず、Da-iCE全員あわよくば付き合いたいですし、会ったこともないけど福士蒼汰とだってあわよくば付き合いたいです。

男性芸能人200人くらいとあわよくば付き合いたいです。

……リア恋ビッチになってしまう!

まあそんな冗談はさておいて。

なんで芸能人への恋心がいまいち理解できないのかというと、わたしの中で対芸能人ってすごく都合がいい関係だからです。

指定された時間に指定された場所に行けば必ず会えて、どれだけ愛をぶつけても拒絶されることはなく、お金を出せば一定時間話せるなんて、普通の恋愛じゃありえないじゃないですか。

何より、芸能人とファンはお互いが自分の都合のいい情報だけを見せられる相手であること。

都合の悪いことはお互い隠して、一番いい状態の自分を見せてればそれでいいんです。

普段どんな格好で家に引きこもっていようが、どんな仕事をしていようが、隠したいことは隠せばいいし、なりたい自分を演じていればそれでいい。

そんなのが恋愛なのか?違うでしょ?とおばさんは思ってしまうのです。

お互いになりたい自分を演じているからこそ楽しいし、夢があるんじゃないかなって。

 

わたしの美学なんですが、芸能人には夢を見せてほしいし、逆に夢を見ていてほしいんです。

夢を見せてほしいのはともかく、夢を見ていてほしいというのはどういうことか。

ライブとか、イベントとかって、日常のいろんなことを全部忘れられる非日常の空間だと思っています。

仕事がどんなに辛くても、明日からしんどくても、その瞬間だけは異世界の中にいる感覚。

だから、本当は、向こうにはいつどんな時も同じようにいてほしいというか……

例えば某夢の国のアトラクションのお姉さんは、いつでも同じ笑顔で迎えてくれて、その人がどんな人なのかとか関係ないじゃないですか。

遠くから来たとか、徒歩5分の距離から来たとか、年齢とか性別とか、全部気にせず同じテンションでいてほしい。

優先エリア整理券を手に入れるのがめっちゃ大変とか、個握一回につきいくら払ってるとか、そういうのを向こうが理解しちゃうとわたしの中の夢が壊れるというか。

たまに「よく買えたね!」みたいに向こうから言われると「お前が言うな!!!」って思います(笑)

ラゾーナ川崎で朝からレインコート着てずっと待ってたとか、そういうの知らないでいてほしい。

何も知らないフリをしてにこにこしていてほしい、それでこそ夢があると思っています。

だから、「何で来たの?」って聞かれた時は、本当は「どこでもドアで来たよ!」って言いたいです。(頭おかしいと思われそうなので言えませんが)

Da-iCEのファンをやってると結構その辺りは現実的になってしまうし、知っていてくれることに安心感があったりもするので難しいところですが。

認知が絡むと、やっぱり遠くから来てありがとうって言ってもらえるのも嬉しいし、仕事の話もしたくなるし、でもすればするほど夢がなくなっていくので葛藤します(笑)

まあそんな感じで、とにかく夢のある関係がわたしにとっての芸能人とファンの理想であり美しいな、と思ってます。

 

ここからちょっと重い話をするんですが、わたしは数年前から「Da-iCEというグループにとって良いファン」でありたいと思っていました。

綺麗事とかじゃなく、わたしはDa-iCEファンみんなにずっとDa-iCEを好きでいてほしいし、例えばちょっとしたレポを書くことでそれを見た人がDa-iCEを思い出して好きになってくれたらいいなって思ってます。

でも、わたしはDa-iCEファンの方のために行動しているつもりは全くなくて、みんながDa-iCEを好きでいることがDa-iCEにとって有益であると思うから行動しているんです。

要は、みんなが幸せでもDa-iCEに無益ならやらないっていうか。

もちろん結果的にいろんな方に感想とか言っていただけるのはすごく嬉しくて、意味があったんだ!って思うけど、本質的にはDa-iCEの経済活動のために色々しているのでお礼とか言われなくても大丈夫なんです。

誰かのため、とかみんなのため、って思うと、見返りを求めたくなるじゃないですか。

でも、Da-iCEが活動していること自体が見返りなのでそれがなくてモヤモヤしたりしないわけです。

もっと言うと、Da-iCEのために、と思うことは全部颯くんのためです。

Da-iCEのためになることを何か少しでもできていれば、それはわたしというファンを捕まえている颯くんの手柄になるからです。

わたしは颯くんの手柄をとにかく増やしたいので、Da-iCEというグループに役立つ何かを探していて、それでレポとかを書いたらそれを見て楽しんでくれる方がいる、誰も損しないお話です。

自分で書いててもすっげー重いなって思いますし実際役に立ててないと思いますが、Da-iCEに関わる何かで徳を積めば、それが推しの手柄に変わると考えるだけで毎日が楽しいです。

逆に、他人に迷惑をかけてしまうと、それは推しの責任になってしまうな、と。

自分みたいなファンを抱え込んだ推しは可哀想だ、と思いたくはないので、頑張って徳を積むことにします。

 

真面目にやってたら損をしたと思っているみなさん、全然そんなことないですよ!

あなたが積んだ徳は推しの手柄なんですよ!

 

とびきり重くて、夢がある。

それがわたしと推しの関係性です。